日々の雑記

どうでもいいこと

4月10日(水)

今日は楽な時間割だ。同じ学年の子たちと同じ授業しか入っていないし、楽だった。想定外の量の課題を出されたけど、授業も早く終わるし、ラウンジに残って一気に片付けた。課題のせいでやりたいことができないのがいや。先延ばし癖がものすごくて、高校でもなかなか課題を出さなくて今までたくさん痛い目を見ているから、この年になってようやく自力で管理できるようになってきた。自分の時間やペースを奪われるのが苦痛で、やらなければいけないことをやりつつ自分の時間を確保するためには後回しにしないのがいちばんいい、と1年でさんざん苦労して学んだ。

 

今日はなにかあったかな……。そういえば、友達のひとりからインスタのリクエスト?が来ていて、ちょっと動揺した。今でも動揺しているかも。1年生のころから話してはいたけど、今日、突然リクエスト。思い当たることはある。私から彼女に話しかけたから……だと思う。聞きたいことがあって聞いた、それだけだけど。え、それだけ、と思われるかもしれないけど、私は多分自分から人に話しかけない。多分がつくのは今まで自覚していなかったから。まわりの子たちはよく知りもしない私(しかも自分からは話してこない)こんな私によく声をかけてくれていたな、と思う。申し訳なさと、周りの子たちの親切さでなんともいえない気持ちになる。

 

話しかけることでの気の遣い方、みたいなのが私にはハードルが高くて、ときどき自分はとんでもなく図太い人間にうつっていたんじゃ、と思っていたたまれなくなる。感じがわるかっただろうか? みんな開かれたところにいるのに私はそうではないという不安。気軽な会話ですらひやひやしながら話すのに……。今日だってだいぶ勇気をもって彼女に話しかけた。それでリクエストが来たので、ほかの人がどんなふうに人と繋がるか、友達をつくるのかちょっと見えたような気がした。そんなことを言って、自分から話しかけなかった私のほうが気を遣わせていたりしただけなのかも。

 

授業がはじまる前の雑談で、だれかが「友達いない」とぼやいていて、ちらほら共感の声があがっていた。そのうちの一人が「その場で一緒にいる人がいればいい」と言っていて、本当に友達がいない状態を知らないんだな、とちょっと思う。その場で一緒にいる人をつくるのがどれだけ難しいか。できてもその場で一緒にいるだけの友達しかできない、というのが正しい言い方で、「その場で一緒にいる人がいればいい」なんてこと言えない。最低限が私にとっての最高限界地点すぎた。

 

私ほど社交性の低い人間を見たことがない。加えて、自分と同じような人がいないと思えてならないのが、「自分」の正しさを信じられないところで、ここらへんがずっとつらかったことだし、今でも悩みになっている気がする。自分の考えていることも、感じていることも、感情も、表に出そうとすればほんとうにそうなのか自信がなくなる。みんなが「こうすべきでしょ」と怒れることを私は怒れないし、話し方から、話す内容から、気の遣い方から、これでいいという確信がどこにも持てなくて、ほかの人を観察して真似してばかりいる。みんなが当たり前に確信をもってやれていることが、私はどこにも確信がもてなくて、合っているのか全然わからなくて、何も言えることがなくなる。どこにも「自分」がないという感覚。自信なさげに見える人でも、話してみればその人の揺るがない「自分」という態度が見えて、私と違う、と思ってしまう。

 

同じような人はいるはずなんだけど周りに見つけたことがなくて、この人はそうかもと思っても、私が確信を持てていないところに確信をもっていることがわかると、いつもがっかりする。

 

なんで信じられるのだろうか。どうして自分が正しいと信じられるんだろうか?自分の感情が正しいか疑問に思わないんだろうか。自分が知っていることや思うことが本当に正しいのかなんてわからないじゃないか。わからないから言えないじゃないか。

 

でも私にだって「自分」はあって、ないわけではないと思う。ただそれは外側には向かないだけなんじゃないのかな、と思う。「人に見せる」自分になったとたんに、それは全部くずれて、私にはなにもなくなる。だから他者に向けた自分には、たぶん「自分」はどこにもいないのだと思う。いないのがばれないようにしながら、いるように見せかけているだけなのだと思う。人に向けた自分も嘘ではなくほんとうの私だ。でも、それが全部ではないし、決して本質ではないという気がしている。

 

きょうあったことを書くつもりが、いろいろ考えてしまったな。