春先なんかくたばってしまえ!
何かしなければと思うのに、具合が悪くて何も手につかない。
体調を崩した。
春先だからだろうか、気持ちが弱っていて気を抜くと涙が出そうになる。昨日の授業中も、あまりに泣きそうになるので、途中退室しようかと思ったくらいだった。バイトも早退し、夕方家に帰ってからずっと寝ていた。具合が悪い、というより、体が思うように動かないしんどさで、疲れていた。
朝起きると喉が腫れていた。喉が腫れるときは、たいがい体のほうもうっすらだるさを帯びているので、まったく動けないわけではないけど、何かをするのはしんどい。
今日は大学に行って、勉強するぞと意気込んでいたのに、そんな気力もない。大学は電車で1時間かかるし、本数も少ないので乗り換えるしかない。具合が悪い中そうすると考えると、行く気をなくす。でも、勉強はしたいのだ。家でやるしかないのだが、なにせやる気が起きない。具合が悪いからだ。
かといって勉強以外のことをする気にもなれない。明日の自分は少しは体調がマシになっていると期待して、明日にゆだねることもできるのだが、大学は閉まっている。億劫さを我慢して、とりあえず手をつけるか。でも、その「手をつける」の一歩がしんどかったりする。さっきもやろうとしたけど、結局これを書いている。あほ。
買い物に行くのも考えた。プリントをまとめるファイルが欲しいので、どこかに買いに行くのもあり。好きなシリーズ小説の最新刊を、本屋に買いに行くのもあり。だけどここはド田舎なので、車を運転するしかない。こんな体調で車を運転?考えるだけで憂鬱だ。自慢じゃないがまだ初心者マークはとれていない。
思い返してみれば、暇なときに家で勉強できたためしがない。していたのは、いつでも詰められた生活の隙間か、一時的なやる気に満ちていたときだけだ。元気だったら勉強やってたのに、と考えていたが、案外そうでもなかったりするのかしら。やっぱり私は大学に行って勉強したかった。大学、大好きなのだ、私。
でもとりあえず動かねば始まらぬ、動くにはいつでも外に出られる格好が必要だ、ということで、いちおう化粧もしてみた。時間があるのでいつもしないメイクをしたらとても可愛くなった。長らく使ってなかったオレンジのマスカラもして気分がいい。だけどごまかしきれない顔色の悪さ!メイクをするとき、仕上がりで自分の体調がわかる。こんなにいいメイクができたのに、顔色が悪いせいでぱっとしなかった。
メイクに合わせて服も替えた。気分が悪いといつも以上に自分の「可愛い」と思える恰好をしないと気がすまなくなる。何度かとっかえひっかえして、ぎりぎり納得できる範囲におさまった。長袖で、着たいと思う服がない。
もう、なんなんだ、この気候は!すべてお前が悪いんだ。春先なんかくたばってしまえ。でも春は好きなんだ。どうしたらいいんだ。
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ごみみたい。はやく消えればいいのに。今の記憶全部なくしたい。どっかトべればいいのに。はやく消えればいいのに。仕事していたら少し楽になった。何からが冗談で何からが冗談じゃないかわからない。私なんかどう思われているんだろう、陰口(というより本音)も言われているだろうと思うけど、ああいうのってどう受け取っておくのが正解?
イジリもどこからがイジリなのよ。男の人のイジりってあああうもん?おなごがあれ言ってたら怖いんだけども。もう分からんのよ。何したら笑われて何したら何も言われないのよ。気色悪い。ああいうのを合理的って言うのかなって思ってたけどなんか違うんじゃないか。辞めたいわ。死ぬほど辞めてやるわ(?)くそ!
Kさんだっていい人じゃないか。いい人なのになんであんな言われなきゃいけないんだ。それとも私が真面目すぎるだけで、真に受けるから?こんな風に思うのか?本当にそうか?もう私にはどうしたらいいか分からん。
私に心の余裕があればどうも思わんのか?
自意識こんにちは\(^o^)/
いやあ寒いですね寒い日々が続いておりますけれども私は痛いnoteを更新し、いいねがつかないために苦しい日々を過ごしております。あんなことしなけりゃ良かったかなあ、だけど今の私にはどこが痛いんだか分からないんですね、見てる人はいるはずなのにいいねがつかないと大変つらい心持ちです。ええ。
ここ最近はといいますと、自意識がまた芽生えてきておりましてね、もうほんとにいやなの。生きるのやめたいって思うくらい、いや。どうにかしてこうにかして、私だっていっぱしの立派な人間になりたかったの。どうしてさ、どうしてこんなに取り残されたような気持ちになるんだかわけわからないの。周りの人が何言ってるんだかわからないの。それは私が悪いのか何なのか、やっぱり私ってどこかおかしいんじゃないかと思ってしまって、とうとう人と話せない自分は生まれてきてから一人ぼっちなのかもしれないと思ってしまう。どれだけ人と仲良くなっても、まわりの人が怖くなくなって、話そうと思えば雑談の一つくらいできるようになっても、やっぱり私は知らない人と話せないし、自己開示なんてできないし、いきなり壁を越えてこられると動揺して泣きそうになる。どうして生きてるのか分からない。またこんな。またこんなことになって。私の生きてる世界は他の人の生きてる世界と根本的に違うんじゃないかと思ってしまう。私だけどこかべつの惑星に住んでるんじゃないのかな。私だけなんかよく分からない生き物になっている気がする。自分のことが分からない。どうして私はこんなんに生まれてきたのか、ほんとうに私のいるべき場所はここじゃないって気がする。もっとべつの、無機物の世界にぽーんとしずかにいて、人間をながめてるだけのかんがえないいきものでありたいんだよ。どれだけ探しても、どれだけ底を探してもなんも見えないものは見えない、他人と対峙するべき自分なんていなくて底なし沼に落ちていきそうな気がする。
たぶん私のことなんか誰にもみえてなくて、まあ、見えてなくてと考える時点で、だれかに見てほしいと思っている、まわりの人はきちんと私を見ているのに、そのどこにも私はいない気がする。言葉を重ねれば重ねるほど嘘をついてる、しょうもなくてその場限りの言葉しか吐けない、その時の言葉はけっして私の言葉じゃない、だからこそ簡単に吐く、ラフにフラットに吐く、テンポよく。私は周りのこととかどうでもよくて、あんまり興味がなくて、会話っていうものが何によって成り立つのかわかんないし、どれだけみんなが重きを置くものかっていうのもわかっていないし、どうせ伝わらないのになんでみんな喋るんだろう。
ただみんなが「そとがわ」のことを喋っているのはわかる。私はときたま内面をしゃべって距離感を間違えることがある、とても幼い、恥に思う。ただ、「そとがわ」のことに関して、ほんとうに興味がないから会話も苦手。興味がないことを喋ることになるから。興味がないから会話もぎこちなくなって、さよならって感じ。
この感覚が、自己愛というのかもしれないと、思ったりなんしたり。
え、暗
自分の書いたものが途中から思い詰めはじめててびっくりしてしまった!めちゃくちゃ気をつけてたのに!
暗い人間であることが露呈してしまったわ
悔しいこともあったよね〜、でも今は力になってるし楽しかった☆いい思い出☆で終わることがなーんでこうなっちゃうんだろう
べつに自分の中だけならいいわけよ、ネチネチして死ぬほど暗いネガティブ人間だってことはわかってるんだけど、あんまり思い詰めない正しい意味での正常バイアスを持った人たちからしたら見るに堪えない自意識過剰さ、自己愛、自分の世界に生きてしまっていることはわかってるんですよ……ああ
それをリアルの人たちに知られるなんてまじで最悪であまりにも書くことがなかったから、時間ぎりぎりだったから投稿しちゃえ☆と思って爆弾を投下した
もう あれだね
あれですよ。吐き出すところがないですね!ここ以外ねっ。あの明るいnからはじまるブログSNSに書く自分の文章はもはや気持ち悪いね!おまえだれやねんっちゅうねん。
なんかもういいわ。わたしはわたしの創作についてひたすら向かい合いますわ。思い詰める記事になるのほんと辞めたい。だいたいなんでそんな気楽にものを考えられへんの。どうしてやぁ。
私はみんなと同じように清く明るく正しく生きたいんです。だけど思い詰めるんです文章になるとそれが出るんですーー。今まで思い詰めたことしか書けたことなくない?ああまじで
もう自分のこと書くのやめよかな。向いてないんだと思うわ。少なくとも思い詰める自分でいたいとは思わないのよな!最悪や もういい 黒歴史として残っとけ
いや別に黒歴史とまではいきませんけどね???
そんな恥じるものじゃないけど他人から見たら「なんかじめってきたな」と思う感じの。思う人は思う感じの。もおわたしそれがいやなんですよ。え?
はー!文章に湿気を出したくないんです。カラッと行きたいんですほんとは。あー!○ねなんか言っちゃいけないけど言いたくもなりますよね。どうして面白くも清く明るくもない記事書いちゃうのかな。もうまじで。
吐き出したいことがたくさんあるんだなと思いました。私には。それが吐き出せなくて、思いに思い詰めた結果、過去のことが執着まみれになっていく。過去のことなんか忘れてしまったほうがましです。きれいさっぱり。忘れていたものを引っ張り出してきたことに私の敗因があります。
はい。
他人の過去なんかだれが興味あるの!今の自分から過去を再解釈して書き記すことほどしょうもないこともないわ!今今今ですよ。ほんましょうーもね。もう一旦忘れよ。さいなら。
生きてて偉い
自分の心の弱さ加減にほんとうに嫌になる。評価というものに対してフラットな態度になることができない。自分の作ったものの評価が自分自体の評価と直結してしまって、いつも揺らぐか、逆に頑なになってしまうことのどちらかしかできない。揺らぐことは苦しいから、せめて努力しようと頑張って、努力したことで自信になっていたものが、努力の方向が間違っていたことで、心折れる。自信を持っていた自分がみじめで、きっと先生にも違うなあと思われていたはずで、そういうのでいちいち揺らぐ自分がいや。本来なら柔軟にうけ止めて反省点をみいだして、反骨精神よろしく軌道修正していくものが、あたしは自分はだめだなあと思うばっかりで、評価がただ怖くて、評価であたしの価値も決まってしまいそうな気がして、それで間違っているあたしに価値なんかないと思うのだ。それは驕りだと他の人の目にはうつるかもしれないけど、「自分はここにいていい」と無条件に思えない人間に、他者からの評価以外で自分の価値を感じることはできない。驕りではないよ。プライドでもない。そういう言葉で自分の価値をもっと低くしてはいけない。「自分はここにいてもいい」という、だれしも持っている当たり前の感覚がないから、周りも傷つけ、自分も傷つけ、そういう自分に我慢していくしかないんだと思う。綺麗事がますます首を絞めつけて、さらに自分の価値をないように感じさせて、当たり前のことが当たり前にできていく人間たちがどんどん認められて、私のようなのは捨て置かれることもされないまま、だれにも注目されずにぼんやりとした存在として消えていくんだなって思う。
こんな風な人間だから、自分に向けられた矢印を巨大に感じてまた失敗する。生き地獄だと思う。私は本当に頑張ってきたと思う。私は偉いと思う。こんな苦しいなかで本当によく頑張っている。こんな苦しいなかでよくふつうの人を装えるまで頑張ってきたと思う。よく死ななかった。こんなに辛いことしかないのによく生きている。前を向こうとしている。偉い。ほんとうに偉い。
12月2日(月)あやしうこそ
自分の問題は生々しすぎてあまり書けない。だれにも見せたくないような、自分の自己中心性に呆れたくなるようなことばかりだから身近な人に見せられることって全然ないよ。どうしてみんな自分のことをああやって書けるのかな、私は無理。うまく距離がとれないっていうのかな、こういうの。いま気持ちがつらいから暗いことばかり書いてしまうかもしれない。見返したらまたバカバカしくなるんだろうな。
書こうと思ったのは自分のもやもやっとした考えを可視化するため。わかったつもりになるのがいちばんタチ悪いってわかっていながら案外自分がその罠にかかっていると思う。このあいだnoteに詩について書き出してみたんだけど、かなり自分の頭の中の理屈に固執していて、話が飛躍してることに気が付かなかった。根拠って大事だとこういうときに思った。頭の中の理屈といっても、さんざんノートに書いてきたと思っていたんだけど、そしてその考えに妙に自信を持っていたんだけど、ただ「こう繋がっているんじゃないか!?」という直感による網をかけただけで、根拠は何もないし、いざ説明しようとしてみると何も説明していることになっていなくてがっくりきた。こんなのに長い間私はこだわっていたんだと思った。時間の無駄じゃないか。
考えているって言っても、何を考えているんだろうなあ。何も考えていないし、何かずっと常に考えているとも言える。でも、最近、何も考えていないという立場に甘んじることはやめようと思った。書くことで、文字にしてはっきりとした断定や判断をしてしまうことで、何かを見落としたり、何かを傷つけたり、間違った方向に思い込みが進んでいく。それがいやで、いつもつねに柔らかい人でいたくて、考えることを放棄してわたしは何もわかりませんというスタンスでいた。だけど、何も考えないし、何もわかりませんというスタンスでいるわりに、やっぱり醜く他者を判断したり物事を判断している自分がいることは感じていたし、なにより他人といる中で、私は何も判断しませんというぼんやりした姿勢しか持たないのは卑怯な気がしてきた。創作のことに関しても、何もわかりませんではその先に進めないのだと思う。しっかり自分のわかっていることとわかっていないことを明らかにして勉強していかないと。ただし文字にとりつかれないように。
だからといって、「判断しなければならない」が先に来たらだめだ。何のために判断することに決めたのか、本末転倒になって、自分が傷ついていく。些細な勘違いが重なることでつらくなっていくと思う。表面のことだけですべてを判断したくない気持ちは同じ。それはずっと変わらないし、変えていきたいとも思わない。考えるべきことと、考えないでいいことの区別をつけたほうがいいのかもしれない。それもまたひとつひとつ考えていくというより、流されない自分を見つけていくことが重要かなと思う。その芯があってはじめてあたしがあたしとして機能していられる、うそのない正直なわたしとしてここにいられるんだと思う。
いつも疲弊してくのは、些細なことの積み重ねだ。いつもなら周りに合わせてしまうことを無視して行動したことで、みんなが無視していることを私は無視できていないんだと気が付いた。いつもならいくら車が遠くから来ていても車が止まってくれるのを待って横断歩道を渡るのだけど、その日は「そっちが止まってくれ」という気持ちで横断歩道を渡ることができた。なんだ、みんなこういうふうにしていたんだ、と思った。車からしたら今までの私は「渡れよ」って思われていたかもしれない。他者を優先するなという話ではなくて、きっと過度に他者を優先しすぎて、逆に迷惑になっている。自分も意思を持たなければそれなりに迷惑はかかってしまう。それはどうしてだろう、と考えてみると、みんながそれを前提として動いているから、という答えしか出てこない。ある程度は自分の問題として、ある程度は他者の問題としてわきまえている。その線引きをみんな無意識にできている。私はできなくて、かなり努力しなければならなかった。自分が理由もわからず他人の迷惑になっていることは苦しい、すごく理不尽。無意識にできる人はすごく恵まれていると思う。親か、だれかが、それを教えてくれたんだと思う。
【日記】
ここからはもっと雑多に、今日や最近のことなど。今、クラスで冊子を作るグループワークをやっていて、作業をやらない二人組が集中砲火されている。ひとりの子がキレているので、みんな同調して不満を述べているという状況。私が見る限りでは、みんながみんなキレているわけではなさそう……な。だけど怒っていないというのも間違いで、キレている子に引き出されて、みんなが不満を言うという状況なんだろうな。だれだって作業をやってくれない人には負の感情芽生えるだろうし。キレている子に対して同じように同調して怒っていた子もいて、その子は責任感の強さから注意してくれたりもしたんだけど、案外怒っていなかったということがわかってちょっと安心した。人に迷惑をかけることはいけない……という責任感で注意したりしてくれたらしい。傍観者の私とは違って良い人だな……。私もべつに二人組に関して何も思っていなくて、まあ、あのまま作業が進まなかったらさすがに危機感からいらっとしていたとは思うんだけど、全然何も考えていなかった。ただ、あの人たちの作業をやらされた人が可哀想だ。それだけ、それのみに尽きる。でも、そうわかっていても、とくに怒れないんだよなあ。ひとが怒っているときに自分も怒れないと、私って人に興味ないのかな、と思う、とこぼした。
なーんかなー。意外にみんな人に合わせてるだけだったりするから、ひとの言葉を真っ向から信じすぎちゃいけないなーと思う。言葉にかぎらず、態度、もろもろ。それをわっかんない人に対してあたしはむかつくわけですよ。見えてる部分が全部だと思うなって思うわけですよ。自分に見えていることがすべてではないという「可能性」すらもたないの。目立つ人が、主張のできる人だけが評価されていくの。そこにもやっとしてしまう。評価されなくてもいいからあたしはあたしでいたいと思うか、評価されたいならどんどん本音を言って主張していけばいいと思うか。評価される場でせいいっぱい頑張るのも大人なのかな。うん……。そうなんかな。評価と人格は結びつかないって先生も言っていたし。でもそれが意外にそうでもないって気がするな。頼れる先生は評価と人格は別だってわかっているけど、頼れない先生はそうじゃないから。評価と人格が結び付けられてた環境にいたから、先生という存在が未だに怖い。
そうか……。そうかもな。評価と人格がべつだって、わかっていないんだ。あたしがね。怖いし、心臓がバクバクする。泣きそうになる。いつでもそのことを思いだして病んでしまう。頭でわかったとて、だよな。他者に認められた自分しか自分だと認められない。ふん!そんなのどうでもいいね!!!!!!見返してやるわ。なんにしろせいいっぱいやってそれが認められなかったらあたしもそこまでということですから悔いはないです。改善してやっていくだけです。ただあたしが恥ずかしかったのは一生懸命やっていないということですね!!!!もっと努力しますね。
11月27日(水)
前の日記見てたら「うるせー!!」と言いたくなる。どうでもいい事を理屈でうじうじと考えているところがほんとうにいや。疲れているなら疲れている、それでいいじゃないの。
つらくて苦しいってことは変わらないんだから、それに対してこれはああだからうんぬんかんぬん、と頭で考えて出した結論なんてこれっぽっちも意味がありません!頭で考えるのが間違っているからです。頭で考えて解決できると思う時点で、どこか傲慢……自分の世界に入り込んでいる。それってほんとうにみっともない。他人に対してはみっともないとかそこまでは思わないけど、自分の世界に入り込む自分は、嫌だなあと思う。そうなりたくないってだけ。
すべては時間が解決してくれる。おとなになれない今の時期がほんとうにくるしい、急いで大人になる必要はないし、大人の真似をしたってすぐにばれる。と、こういう風に考えてること自体が小賢しいよね。
何も考えないって難しい!何書いても自意識強い人になって嫌になっちゃう。もっと正直になれればいいのに。つらいくるしい、は真正面から向き合っても意味ない。耐えるしかない。つらくて苦しい、ということを認めることが大事、そこからどうつらくて苦しい現実に向き合うかはその人次第。
気分転換したいな〜!疲れる。楽しいことや好きなことを考えてたいな。それだけで死んでた気持ちが生き返って、楽しくなってくる。明日が楽しみに思えてくる。好きなことを見つけるって大事、、。やりたいことをやるってすごく心のエネルギーになる。
考えなくていいことを考えない。その取捨選択って難しいな。人に話すことや、こうして書くことをしないと、自分の世界に入り込んでいるだけっていうのに気づけない。