日々の雑記

どうでもいいこと

9月4日(水)

はてなブログを書いてると暗くなるので書かなくなっていたけど、久しぶりに読み返すと正直な自分でいいなと思った。自意識過剰な思い込みも、自分の檻の中で完結した机上の空論的な考えも、誰かに読まれると思えば恥ずかしいけど、ぜんぶその時ほんとうに存在していた私で、正直だからこそ自分の馬鹿さに嫌になってはてなブログを書かなくなった。手帳とか読み返しても大体体調が悪くて元気がない。私そんなに元気ない?って自分でびっくりする。思い返すとそんな事ない気がするし、むしろ毎日元気だった気がするから不思議。ほとんど「気分が沈む」「なんとなく具合が悪い」「泣きそう」から始まっていて、調子がいい日がない。焦るか不安になるか具合が悪いかのどれかには絶対当てはまっていて、むしろこれがデフォルトの状態で生きてるから、うっすら調子が悪いのがデフォルトの中で、笑ったりご飯食べたり楽しかったりしているんだろうな。よくわからんけども。でもそうじゃなきゃ説明がつかない?というか。感覚としては毎日楽しいんです。とくに不幸なこともないし。嘆くこともないし。

はてなブログを身近な人に見せるか見せないか問題はずっとあって、そりゃ誰かに聞いてほしいから手帳に加えてこんなめんどくさいことしてるんだと思うけど誰かに読まれるということを意識した途端に正直なことが書けなくなりそうで。つくったものになりそうでこわくて結局はひとりでやってる。べつに誰かに見せても変わらないのかもしれないけど。でもこのブログに限らず、「自分」がバレそうなものを見せるのが怖くて怖くて仕方ない。作品についてもそうだ。「自分」が出ていないか徹底的に確かめてからでないとこわくて見せられない。未熟、というより、自我がでていないか否かがこわいから、はやく成熟しなければと焦っていた。徹底的に客観視しないとダメだ。それも行き過ぎるとおもしろくないということはわかっているけど怖さに打ち勝てない。開き直れない。ほんとは完璧なものでないと誰にも見せたくないのだ。完璧とかありえないとわかった上で言うけど。

自分に向いてないことが多すぎて嫌になる。ほんとにみんな当たり前にできてることがなにもできないというコンプレックスが強すぎて、いろんな状況でうつうつとする。「みんな」という輪の中にいることがどこか信じられなくて、何が正解かわからなくて、間違えてないか不安で、些細なことでいつも動揺している。「みんな」といることが嫌なわけじゃないし、むしろ楽しいし、ふざけたり笑ったりすることももちろんあるんだけども、私の居場所ではないと思う。疎外感だけはどうにもならない。まわりはみんな親切で優しいのにそう感じる自分や、同じものを返せない自分に価値がないような気がして、いつも悩んでいた。周りと同じにならなきゃということ自体、「自分」の無さの表れのような気もするな。逆に相手に失礼というか。べつにおのおの好きなようにやればいいのであって、じっさい周りは自分のありたいようにあるのに、合わせようていう精神自体が幼いのかもしれない。でも思えたら変われるかと言ったらそういうものでもないからみんな困ってるんだよね。私の場合は基本手帳に文章を書くことで、あとはより良い詩を書くとか大好きなファンタジーを手遊びで書くとかそういう方向で自分を支えている気がする。周囲に馴染めなかった言い訳が欲しい。なんでこんなしんどい思いをしなきゃいけなかったのか、その言い訳がほしい。そのための言い訳として自分に才能があると思い込むこともできるんだけど、感じていることはみんな変わらないし、自分だけが感じると思っていたことは、みんなが感じていることで、私だけに特別な才能があるわけではないんだなとひしひし思う。私は自分を表現する唯一の手段を得て、力ずくでこじ開けていっただけだ。技術を得ればもっと自由になれるから、呼吸するためだけに必死になっていたらいつの間にかここまで来ていたという感じ。今はもうだいぶ自由になったので、以前と比べて必死さはなくて、書いても書かなくてもいいという感じではある。なのにぼちぼち書いているので、これからも書いていくのかなぁという気はする。結局日本語が好きだし、常にどこかにより良いものを書きたい気持ちは燻っている。